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『魚のように』 中脇初枝 【読書感想・あらすじ】

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あらすじ

四万十川が流れる著者の故郷高知県中村を舞台に青春の時を過ごす少年少女を色鮮やかに描いた短篇集。著者のデビュー作となった表題作「魚のように」と「花盗人」を集録。
――本書より引用

読書感想

読むキッカケ

深夜に某SNSのメッセージをぼんやりと眺めていた。

フォローしてる方のひとりが真夜中に叫びにも似たつぶやきを投稿していた。

「中脇初枝 著 魚のように だれか!読んで読んで!」
読んでみようと思った。

物語の概要

冒頭の「魚のように」は、どこか危ういバランスを保ちながら生きる美しい姉「清文」が出奔し、残された弟「有朋」の語りによって彼らの世界と心情を知るものがたりである。

一方「花盗人」では、家で居場所を見つけることができない二人の少女「晶」と友人の「朋子」が不器用に、しかしのびのびと生きるさまを描いている。

いずれも彼ら彼女らは若く青春の只中に生きており、全ての場面で痛みとまぶしさが溢れている。

「いや……なんか、唇、赤すぎるよ。もしかして、皮、むいちゃってるの?」
「え?」
姉の白い爪が確かめるように唇をなぞる。
――本書より引用

「魚のように」で、唇の薄皮をはがすクセがある姉に弟がツッコむくだりだ。

二編通じて、この剥き出しのヒリヒリとした感覚が常に横たわっているのだが、不思議と青春の暗さを感じることがない。

川の清流のように甘く清々しいこの感覚は、舞台となる土地の強い影響がうかがえる。

著者は故郷の高知県中村市で育ったことの重要性をあとがきに記している。

魚のように

ものがたりの語り部は弟であるが、話の中心には姉の清文が常に存在する。

「清文はいい子、有朋は劣る子」と期待を寄せる両親、全てを受容する親友「君子」、美しき少女に憧れる男子たち、そして弟の有朋、彼らは清文を中心とした世界で暮らしている。

特に清文、有朋、君子の間には小さな特別な世界がある。

しかしその身と心を持て余す清文はやがてそれを自ら破り「ここでは無いどこか」へ行ってしまう。

河口で外海の感触を確かめていた稚魚が海へと飛び出していくように。

そう、清文にとってここは違うと確信めいたものがあったのだろう。

これに対し、日をおいて姉と同様に家を飛び出した有朋は理由が異なる。

世界の中心である姉を失った彼にとってそれは現実からの逃避である。

もう僕は暗闇もこわくはなかった。草の中に沈んでいる自分の体が、夜と同化していくのさえ感じられた。
――本書より引用

しかし、姉との日々を回想し、川のほとりをあてもなく歩くお遍路のような行為は彼にとって必要な儀式であり、やがて夕闇のなかに自分自身を見つけ出す。

この作品は長い一篇の詩である。

花盗人

詩的な文学作「魚のように」に対し、こちらは土地言葉に始まり地元の生活がありありと描かれており、同じ青春群像でも受ける印象が異なる。

嫁姑問題のある家族で「おばあちゃんの子」として育った晶は、祖母の死により孤立する。

友人の朋子もまた理由は異なるが孤立した存在である。

地味で慎ましい家族の中において、美しく朗らかな彼女は異質であり浮いた存在なのだ。

ものがたりは二人が過ごす日々を描いたものであり、彼女たちの性格と関係性は序盤での会話ではっきりと掴むことができる。

少々長いが引用する。

「晶? カラオケいかん?」
私は朋子の常識はずれに呆れてしばらく黙っていた。
祖母の葬式の夜にカラオケで大騒ぎすることがどういうことかぐらいは私でも知っていた。
「今日はおばあちゃんの葬式やったがで。」
「そうなが? 大変やったねえ。」
「あんたあたしのおばあちゃんが死んだことぐらい知っちょったろう?」
「知っちょうよ。早退したやんか。」
朋子にはまだ分からないらしい。私はばからしいと思いながら説明してやった。
「おばあちゃんの葬式の日にねえ、孫がカラオケ行くがはあんまりえいことやないがよ。明日の朝はお骨上げやしねえ。」
「オコツアゲ。」
「焼いたおばあちゃんの骨をねえ、骨壷に入れるがよ。」
「やっぱり焼いたが? あたしやったら焼かれとうないな。」
「じゃ土の中で虫に食われて、腐っていく方がえい?」
「そんながいやよう。あたしは灰にしてもろうて、海にまいてもらうが。」
死体を灰にするには焼かなくてはいけないことを朋子に教えるべきかどうか私は迷った。
――本書より引用

冒頭で晶の祖母が亡くなったあとの会話である。

この会話で土地柄や二人の個性、関係が頭の中に鮮明に浮かび上がった。

著者の筆力に感服するとともに、二人の微笑ましさに心を掴まれる。

家族で孤立した二人は「カクセイイデン(隔世遺伝)」というキーワードで結びつきを強くし、幼さと大人っぽさを抱える不安定な時期を共に乗り越えていく。

最後まで二人の会話や行動から果てのない伸びやかさを感じるのだが、しかし儚い切なさが、ある。

高校三年生とはそういう時期だったろうか。


読後に想うこと

SNSでこれを薦めてくれた方は「読んだ後 透明人間になる」と言っていた。

歳のせいか私は「半透明」に留まってしまったが、かつて透明だった時期が私にもあったことを思い出した。

そしてそこから今の私は一本の線で繋がっていることも確かめることができた。

どうもありがとう。

著者について

徳島県に生まれ、高知県中村市(現・四万十市)に育つ。高知県立中村高等学校、筑波大学卒業。専攻は民俗学。高校在学中の1992年に『魚のように』で第2回坊ちゃん文学賞を受賞し、17歳でデビュー。児童虐待をテーマとした『きみはいい子』は5万部を超えるヒット作となり、2013年に第28回坪田譲治文学賞を受賞。2014年、『わたしをみつけて』で第27回山本周五郎賞候補。
――本書より引用

メモ

沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)

沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)は、河川を渡る橋の一種である。堤外地に設けられる橋で洪水時には橋面が水面下になる橋をいう[1]。

ちなみに先日読んだ「風景は記憶の順にできていく 椎名誠(著)」に「沈下橋」が紹介されており、偶然のつながりに嬉しくなった。

風景は記憶の順にできていく (集英社新書) 椎名誠 感想 | neputa note

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満てる(みてる)

土佐弁で、人が亡くなった事を「みてた」と言います。
何か物が無くなった時にも「みてた」言います。

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