マークスの山 (早川書房) 高村薫 | 読書感想BLOG
マークスの山 (早川書房) 高村薫

マークスの山 (早川書房) 高村薫

2015/11/02 23:04 neputa

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あらすじ

昭和51年南アルプスで播かれた犯罪の種は16年後、東京で連続殺人として開花した―精神に〈暗い山〉を抱える殺人者マークスが跳ぶ。元組員、高級官僚、そしてまた…。謎の凶器で惨殺される被害者。バラバラの被害者を結ぶ糸は?マークスが握る秘密とは?捜査妨害の圧力に抗しながら、冷血の殺人者を追いつめる警視庁捜査第一課七係合田刑事らの活躍を圧倒的にリアルに描き切る本格的警察小説の誕生。

感想

あらためて再読してみた

学生時代に初めて本作を手にしてから三度目か四度目かの再読である。
当時読んだ時のことを振り返ると、合田雄一郎に感情移入しようと試み、警察機構の矛盾に腹を立て、破滅的に生を全うしていくマークス、あるいは水沢裕之に圧倒されていたように思う。
ただ、その中で合田が義兄と冬山に登ったことを思い起こす場面と北岳の山頂から富士山を眺めるシーンは当時から印象深く残っていた。
底雪崩の轟音が下ってくるのを聞きながら、ぼんやりと二人で坐ったまま動かず、〈俺たち死ぬぞ〉と笑っていたこともある。そのあと雪崩の暴風に吹き飛ばされて、互いの姿がしばしば見えなくなると、突然激しい憎しみが走り、次いで〈愛してる〉と思った。
――浅野の遺書を読んだ後、合田の回想場面
合田は思い出した。この白峰三山の稜線に立つとき、東側に見えるのはいつも、どこまでも、空と光と、真正面に浮かぶ富士山頂の姿しかなかったことを。その手前にも背後にも、何もない。ここから望めるものは、日本一の富士一つだ。
――連続殺人犯「水沢裕之」を追って、北岳山頂での合田の心象場面
だが、いずれにせよ私の貧しい脳みそは、著者が緻密に張り巡らせた伏線を追いミステリとしてのカタルシスを得るに留まっていたように思う。なぜそう思うかといえば、今回再読して、これは「山の話だ」あるいは「山と人間の話だ」ということに気付いたからだ。

以前までと今回で、個人的な状況の変化といえば「山登りをするようになった」ことである。まだ月日は浅い素人であるが、一つ目の「筑波山」を登って心境の変化でも起こったのか、以降隔週で山へと足を運ぶようになってしまった。

登山中に思うこと

本作の感想とはまったく関係ないが、登っている最中に私は多くのことを考える。というよりも「雑念が頭に浮かんでくる」という方が正しい。しかし、未熟な私の身体的限界を超えてなお足を運び続けていると、その思考が溶け出していくような状態になる。おそらくは色々なことが脳裏に浮かび続けているのだとは思うが、あまりの苦しさにそれを意識的に捉えることができないだけなのだと思うが、それが「思考が溶ける」というような状態に感じ、ごくごく個人的なことではあるが私はそれがとても幸せに感じるのだ。

この物語に登場する様々な人間が山頂を目指し山を登る。そして登る理由もまた様々である。今の私には、本作はこのことのみを語った作品であるとしか思うことができない。

山を目指した人物で最も印象的だったのは

やはり「水沢裕之」である。彼は、幼いころに北岳の麓で両親が車中で一酸化炭素中毒による一家心中で死を遂げた際に、偶然にも車中へと出て一命をとりとめ、翌日救助されるまで暗い山中を体験する。一酸化炭素中毒とこの体験と母が持つ精神的病の影響からか、統合失調を患っている。

※ここからネタバレを含みます。
彼には三年周期で暗い山と明るい山が訪れる。暗い山に怯え、明るい山では躁状態となり、やがて彼は親身な理解者に出会いながらも連続殺人犯となる。
彼を連続殺人へと向かわせた発端は、偶然にも彼が一家心中で北岳にいたときに起こっていたもう一つの事件である。
のちに社会の一線で活躍する人物たちが、若気の至りというにはあまりにも救いがたい当時犯した過ちが幾つもの偶然をたどり水沢を凶悪事件へと駆り立てることとなる。

人を殺しているわけで許されることではないとわかっていながらも、水沢がおのれの中に巣食う別人格と暗い山にあらがって生きる希望を見出そうとする姿に彼の無事を願わずにはいられなかった。北岳に登り、山の向こうの世界を目指すことを彼が口にしたとき、結末はすでにわかっていてもどうか向こう側にたどり着いてほしいと願ってしまうのだ。

連続殺人犯として指名手配を受け、身近であってくれた人物を危険に晒してしまい、彼が目指したのは幼少期に置き去りにされたあの暗い山、北岳であった。
合田は眼窩にたまった雪を払い、明かりを当てた。角膜の微濁はまだない。散大した瞳孔は、触れると黒い氷だった。しばらく懐中電灯で照らし続けると、明かりの熱で凍った眼球が解け、水が一筋流れ落ちて頬の上でまた凍った。
水沢裕之の眼球は、雲海に浮かぶ富士山景をを真っ直ぐに見据えていた。その魂を犯し続けてきた〈マークス〉から逃れ逃れてここに辿り着き、真知子と一緒に、一晩待ちわびていた天井の夜明けが、もうそこまで来ていた。
――合田たちが逃走した水沢を北岳山頂で発見したときの描写
この場面は以前に読んだ時も記憶の片隅に残っていたのだが、今回は咽るほど胸が苦しくなった。一人の人間が山頂を目指したその理由と実際に辿り着いたその姿にただただ感動したのだと思う。

北岳の麓で起きたこの物語の発端となった出来事は、個人的なことだが偶然にも私が生まれた年という設定である。

初めて本作を読んだ時は自分が山登りをすることなどは想像すらしなかったが、少しずつ高い山に登れるようになってきたいま、この奇遇をなにかの縁と感じ、いつか冬初めの北岳に登ってみたいと強く思った。

小説版の聖地巡礼を目指して準備を始めよう。

著者について

高村薫/著 タカムラ・カオル わが国を代表する小説家、言論人。『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞して作家デビュー。『マークスの山』で直木賞を受賞、以降も数々の 文学賞に輝いた。『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の長編三部作が注目を集め、殊に『新リア王』は、親鸞賞を受賞するなど、仏教界に衝撃を与え た。『神の火』『レディ・ジョーカー』『李歐』『冷血』など、著書多数。

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