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あらすじ

  • 本書より引用
目の前を悠然と流れる筑後川。だが台地に住む百姓にその恵みは届かず、人力で愚直に汲み続けるしかない。助左衛門は歳月をかけて地形を足で確かめながら、この大河を堰止め、稲田の渇水に苦しむ村に水を分配する大工事を構想した。その案に、類似した事情を抱える四ヵ村の庄屋たちも同心する。彼ら五庄屋の悲願は、久留米藩と周囲の村々に容れられるのか――。新田次郎文学賞受賞作。

水神 帚木蓬生 (新潮文庫)

※honto・amazon どちらも電子書籍で読めます。

あらすじ

  • 本書より引用
希望を胸に身一つで上方から江戸へ下った豆腐職人の永吉。己の技量一筋に生きる永吉を支えるおふみ。やがて夫婦となった二人は、京と江戸との味覚の違いに悩みながらもやっと表通りに店を構える。彼らを引き継いだ三人の子らの有為転変を、親子二代にわたって描いた第126回直木賞受賞の傑作人情時代小説。

読書感想

江戸町人の物語

物語の書き出しを引用する。
深川蛤町の裏店が、宝暦十二(一七六ニ)年八月の残暑に茹だっていた。 
江戸時代の始まりは1603年だからそこから160年、江戸中期のころだろうか。
江戸下町を舞台に物語は始まる。
あらすじにある通り、江戸町人たちの人情物語である。

永吉という男は京都の貧しい家の出で、若いうちに口減らしのため豆腐屋に奉公に出され腕を磨いた豆腐職人である。
独り立ちできるほどの技量を学んだものの年功序列による暖簾分けは20年ほども待つ必要があり、彼は一念発起して江戸の町へと旅立った。

右も左もわからないだけでなく、言葉も違えば文化も違う。そして何より江戸庶民が口にする豆腐は固く締まったもので、上方のやわらかなものとは種類が異なる。そのような厳しい条件のもと、永吉は長屋で暮らす人々に救われ何とか独り立ちを遂げる。
特に彼を助けたのは同じ長屋にある桶屋の娘「おふみ」であり、彼女の両親もまた永吉を支援する。
「上方からたったひとりで出てきて、酒もやらずに貯めた銭で商いを始めるなんざ、並の料簡じゃねえやね。ここで半端をやっちまったら深川の名折れだ。源治親方、遠慮はいりやせんぜ」
豆腐屋の造作工事をするためにおふみの父源治が職人を連れてきた。このセリフは事情を聞いた親方の言葉である。


現代との違いを考えてみた

物語を通じて江戸という時代背景とその時代における人々の暮らしぶりが丁寧に描写されている。
地震や飢饉などの災害、幕府による政策転換などにより町人たちが不景気に見舞われるなど、現代と変わらないこと、また時代特有の違いなどとても興味深い。

先の親方のセリフから伝わってくる「心意気」、そして「粋」であるという文化は何となくというレベルで理解していた。
具体的にはわからなかったこれらが深川蛤町の暮らしぶりを通してその意味を知ることができる。

この時代は階級社会であり、江戸町人たちより厳しい暮らしの人々も当然いたであろうが、彼らの暮らしぶりも決して豊かとはいえない。そして現代の年金や保険制度なども存在しない。
そのようななかで彼らは家族、町人同士など横の結びつきを強め互いに支え合うことで生き延びてきたのだと知ることができる。

現代における「ビジネス」といったものはまだ日本には存在しない。町人たちが営んでいるのは「商売」「商い」である。
ビジネスにおける合理性や効率性はあまり重要視されていない。現代ビジネスとは異なり、利益を最も効率的に拡大することがそもそも目的に据えられていないように見受けられる。
長屋に寄り合う商人たちは現代の中小企業の集まりのようなものだろうか。そして持ちつ持たれつ支え合うことで拡大よりも継続性を重要視する知恵を感じる。

これはもちろん小説であり物語であるが、実際に当時の暮らしがおおよそ話の通りであったとするならば、人々の心意気で成り立つ互助システムはなんとも低コストで良質な仕組みのように思える。

物語の登場人物たち

永吉とおふみを中心とした話で終わるのかと思いきや、後半になって話は彼らの子どもたちの時代へと移る。
三人の子供たち(栄太郎・悟郎・おきみ)のうち、長男の栄太郎がもっとも頼りない。というかライバルの豆腐屋「平田屋」に騙され女郎通いや博打に手を出す有様である。
しかしおふみはこの長男を可愛がり、次男と長女を冷たくあしらった。

永吉とおふみが出会った頃は良かったのだが、家族が増えるに連れ身内の揉めごとは途絶えることがない。そして長男の抱え込んだトラブルである。

町内には様々な人が生きている。同じ豆腐屋で足を引っ張る者もいれば、影からそっと支えてくれる人もいる。賭場を生業とする稼業のもの、鳶に材木に気性の荒い職人たちなどなど。

まったくが関係がない人々のように見えて、誰もがどこかでつながりを持っている。その辺りは著者の力量、物語の構成力によるのだとは思うが、この時代では人々のつながりがとても濃かったのかもしれない。

そしてこの人と人とのつながりは、この作品の最も重要なキーワードでもある。

人々(持たざる者)同士が互いに繋がることの重要さ

物語の最後の最後まで長男がしでかした問題が尾を引く。
ライバルの豆腐屋が仕組んだワナに陥った長男を既の所で救ったのは裏稼業の男「傳藏」だった。
傳藏が最後に言ったセリフがこれである。
「うちらを相手に、銭やら知恵やら力比べをするのは、よした方がいいぜ」
「堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。壊れるときは、かならず内側から崩れるもんだ。身内のなかが脆けりゃあ、ひとたまりもねえぜ」

このセリフにおける「うちら」といのは当然、発言者である傳藏たちやくざ者たちを指すのだが、私には別のものたちを指しているように聞こえた。
当時で言えば大名や将軍、現代では政治家や富裕層などに当たるだろうか。いわゆる「持てる者」である。

何を思ったかと言うと、現代において「持たざる者」たちはすっかり分断されてしまい、横の結びつきが弱く個々での生存を強いられているが、この物語の江戸町人たちは結びつきを強めることで「持てる者」から受ける影響を最小限におさえ生存力を高めていたのではないかということだ。

「堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。」

傳藏のこのセリフが現代においては特別な響きをもつように思えてしかたない。

何はともあれ永吉たち、彼らの子どもたち、そして関係するすべての人々に溢れる人情味に泣かされどおしであった。
いま住んでいるこの町が「江戸」と呼ばれていた時代があり、そこには当時もいまも同じように人々の暮らしがあるのだということを実感をもって味合わせてくれる作品だった。


著者について

  • 本書より引用
山本一力(やまもと・いちりき)
昭和23(1948)年、高知県に生まれる。都立世田谷工業高等学校電子化卒業。旅行代理店、広告制作会社、コピーライター、航空会社関連の商社勤務を経て、平成9(1997)年、「蒼龍」で第77回オール読物新人賞を受賞。平成14(2002)年、「あかね空」で第126回直木賞受賞。著書に『損料屋喜八郎始末控え』(文春文庫)、『蒼龍』(文芸春秋)、『深川駕篭』(祥伝社)、『深川黄表紙掛取り帖』『ワシントンハイツの旋風』(講談社)、『いっぽん桜』(新潮社)、『欅しぐれ』(朝日新聞社)など多数。

「歴史」作品のエントリ

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あかね空 (文春文庫) 山本一力

※honto・amazon どちらも電子書籍で読めます。

あらすじ

時は奈良時代・天平の世。近代国家成立を急ぐ朝廷は、先進国「唐」から多くを吸収するため、総員五百八十余名の第九次「遣唐使」を派遣する。そこには留学僧として渡唐し、二十年の年月を経て高僧「鑑真」を日本へと連れ帰る男がいた。航海技術が未熟な時代に海を渡り、異国の地で生きた僧たちを丹念に描く歴史小説。

読書感想

読むキッカケ

あまり歴史小説のたぐいを読む機会がないのだが、某書評サイトでお薦めいただき「天平の甍(てんぴょうのいらか)」を読んでみた。
中国大陸の帝国が唐にかわっても、かつての遣隋使(けんずいし)と同様に、日本から中国の唐に、外交の使者の 遣唐使(けんとうし) を送ります。
WIKIBOOKS 中学校社会 歴史/奈良時代
この史実の向こう側には多くの人が存在し、そしてそれぞれの人生があった。あたり前のことだが、そのことをまざまざと見せつけてくれる。

乏しい歴史知識しか持たないまま読み始めた歴史小説だが、丁寧に説明があり、何よりも読み手を強く惹きつける魅力に溢れる作品であった。

国家一大プロジェクトである「遣唐使派遣」には、まだ未成熟な国内仏教を発展させるため「唐」から高僧を招く目的があり、それを果たすには、現地で修行し、言葉を覚え、関係を作るための人材が必要である。

そこで選ばれたのが四名の若い僧侶たちであり、この四名と前の遣唐使として先に現地にいた一名を含む五名が物語の主要メンバーである。

この五名はそれぞれ個性的で、彼らの生き様が本作の一番の魅力であった。彼らの紹介と交えながら感想を記したい。

個性あふれる登場人物たち

  • アイ・アム・ヒーロー ~普照(ふしょう)
本作の主人公として彼を中心に物語が進んでいく。
当初は使命よりも自分が学ぶことに傾倒し唐を離れることに未練を抱くのだが、最後には留学僧で唯一生き残り、「鑑真」を日本へと連れ帰る。
人の気持ちの奥底を慮る優しさを持ち、広くものごとを受け入れる素晴らしき僧へと成長を遂げ事を成した、まさに「ヒーロー」。

  • お国のために尽くします ~栄叡(ようえい)
早い段階から、「膨大な経巻と鑑真を日本へ連れて行くことこそ我が使命」と宣言し、この「栄叡こそが遣唐使」と言っても過言ではない。
というか、他のメンバーは結構自分大好きで色々と驚かされる。
戒融とは仲が悪い。
終盤、志半ばで命を落とすシーンは本当に胸を突いた。
君の想い、忘れない。

  • オレもうやる気なくした カタカタカタカタ…ターン! ~玄朗(げんろう)
渡唐の時点から弱音全開、のちに日本へ帰る話が具体的になると
故国への思慕と、渡航に対する不安とに交互に襲われていた。彼はひどく怠惰になっていた。
この有様である。
一度目の帰国が頓挫すると「帰りたいけどお前らの冒険に付き合う筋合いはねーんだ」と言って行方をくらます。
本当にこの人は何しに唐へ来たことやら。

幾度の失敗を経ていよいよ普照たちが鑑真を連れ日本に渡る話を聞きつけると、久しぶりに普照の前に姿を現し、「実はオレ、結婚して子供もいるんだ。仏門とかぜーんぶ忘れちゃったけど三人とも日本に連れってくれよ」と頼みこむ。
普照は全力で手配するが、帰国当日にバックれて「やっぱオレやめるわ」と手紙を送り付けてくる。

早すぎた個人主義、もうどこまでも「フリーダム」である。
こんなどうしようもない人物だが、厳しい時代にとても人間的で心のままに生きる彼は、私の中で「影の主人公」となったのである。

  • 旅は道連れ世は情け ~戒融(かいゆう)
この人物も玄朗に負けない我がままっぷりを発揮し、「旅がオレを強くする」と言わんばかりに托鉢を頼りに旅立っていく。
ただ玄朗とは異なり、早くに言語を克服し、信念を持って旅だった彼は「哀愁ただよう孤独な旅人」である。
物語の終盤において、彼は絶妙な登場を見せる。
栄叡とは何かと折り合いが悪かったが、彼の死を知った時に見せた姿はグッとくるものがあった。
最後の数行でサラッと書かれた戒融のその後は「!?」となるが、味わい深い人物である。

  • 私が死んでも代わりはいるもの ~業行(ぎょうこう)
私の写したあの経典は日本の土を踏むと、自分で歩き出しますよ。私を棄ててどんどん方々へ歩いていきますよ。多勢の僧侶があれを読み、あれを写し、あれを学ぶ。
上の四名の前に唐に渡った先輩僧侶。
自分が修行するよりも経巻を写経することに一生を捧げた。
経巻に対する熱意は時に狂気を帯び、「日本への航海で荷物を捨てなければならないようなことがあれば私が海に入ります」と、普照に言わしめるほどである。
貸した本が汚れるとすごい怒る友人を思い出したが、重要な役割を果たす人物である。

読み応えのある大河小説

天平の甍を読んでいるあいだ、彼らの個性的な人生の息吹きを感じ続けることができた。
細やかに丁寧に個性的な彼らを浮かび上がらせる著者の筆力に圧倒されっぱなしであった。

著者や司馬遼太郎のような歴史小説を書く人たちは、百年、千年たとうがいつの時代も私たちと同じ人間がそこに存在し、それぞれに異なる人生があることを本能的に解っているように思う。

ひとつ気になったのは、何度も日本への航海が失敗に終わり、年老いて視力を失うに至った鑑真が、何故そうまでして日本へ行こうと思ったのかである。
鋭い人は読み取ることが出来るのかもしれないが、私にはわからずじまい。
何かの機会に調べてみたい。


映像化について

また天平の甍は1980年に映画化されている。ぜひ一度観てみたいと思うのだが、DVD化されていないため、観るためにはビデオデッキが必要でありどうしたものか悩んでいる。


著者について

井上/靖 1907‐1991。旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手がけ、1949(昭和24)「闘牛」で芥川 賞を受賞。’51年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。「天平の甍」での芸術選奨(’57年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(’69 年)、「孔子」での野間文芸賞(’89年)など受賞作多数。’76年文化勲章を受章した。

天平の甍 井上靖 (新潮文庫)

※honto・amazon どちらも電子書籍で読めます。

あらすじ

黒船来航により家康から代々続いた徳川江戸幕府は危機へと陥る。
激動の時代に十五代将軍となった「徳川慶喜」。
家康以来と評された将軍は大きな時代の流れをいかに生きたか。
江戸幕府最後の将軍の一生を描いた歴史小説。

読書感想

昨年からぽつぽつと歴史小説を読むようになり、司馬作品としては「翔ぶが如く」に続いて二作目である。

「徳川慶喜」に関する私の知識

~江戸幕府最後の将軍~
 以上。

本作を読む前に私が知る徳川慶喜に関する全てだ。
学生時代、日本史の授業で耳にし、テストのため年号まで記憶したが、 その後知識が増えることは無かった。

この偏った知識から慶喜に抱いていたイメージはこんなところだ。
  • 江戸幕府の長い歴史を終わらせた人
  • 能力に欠けていたから幕府崩壊に至ったのではないか
  • 現代でもいそうな名前
自分で自分を疑う無知ぶりと偏見に満ちた内容だが、正直に書くとこうなった。

生い立ちと人物像

では実際にどういう人物であったか。

徳川家の家督は直径がいない場合、分家である「御三家」から選ばれる。
御三家」は紀州、尾張、水戸の三家であり、なかでも水戸家は石高、官位とも他二家に劣り、将軍を輩出したことは無かった。

だがしかし慶喜はこの水戸家の生まれである。
しかも生家における彼の名は「七郎麿」、お察しの通り七男だ。
将軍の位からはあまりにも遠い人生の始まりである。

全て人任せの貴族とは異なり、慶喜は何ごとも自分の手で行うことを好んだ。
ちょっと変わった人物で、漁師に話しかけ三年かかると言われた投網を一月で覚えたという。
他にも包丁を手にして料理をしたり、自ら馬を乗りこなしたりと、現代に生きていればかなりポイント高い男子で、さぞモテたであろう。

また、かなり理知的で弁が立ち、早くから議論の場で年長者を説き伏せるするなど政治家としての才を持ちながら、悲しいほどに野心を持たなかったという。

将軍への道のり

しかし時代が彼を放おって置くことは無かった。
黒船が来航し世間は開国か攘夷かで大いに揺らいでいた。
ちなみに、この辺りで将軍家をいいように操っていた「井伊直弼」による「安政の大獄」の下りがあり「吉田松陰」 があっさり処刑された。
私の中でNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は早くも終わった。

話しが逸れたが本編である。
長く続いた安寧の世で大老、老中に操られ力を失っていた徳川幕府は、危機を脱する術を持たなかった。
これは運命だったのであろう。
いくつもの偶然と、国を憂う者達の説得で慶喜は担ぎ出されようとされていた。
しかし、彼は全てを見通していたのだ。
考えてもみよ、政体が古すぎる。たれがやってもうまくゆかぬ
根拠もなく欧米ごときと攘夷論が吹き荒れる中、どこまでも冷静である。
三百年続いた古い体制で、近代化を遂げた西洋列強と政治や武力で渡り合うことなど到底不可能である。

とは言いつつも事態は逼迫し、周りは事態収拾を期待し慶喜に即位を求める。
慶喜が歩み寄りを見せ述べた内容は、徳川家は継ぐ、しかし将軍については大名たちが投票して決めれば良いというもの。

徳川家の人間として家督は引き受ける。
しかし、これまで徳川家の主人は将軍とイコールなのだ。
そして意見が割れる政治の場においては選挙をしろと主張する。

民主主義という概念は日本の歴史に過去あったのだろうか?

面白い話しがあった。
江戸時代は鎖国の時代と聞いていたが、慶喜はフランス好きであったという。
フランスの政体や歴史を聞くことを好み、あげく言語を習得したがった。
時代にとらわれず学び発想し行動する人物が、伝統と様式に凝り固まった家から出てくるとは何とも面白い。

徳川幕府の終焉

しかし時の運命には逆らえず、慶喜はいよいよ将軍となる。
野心的な諸藩から徳川幕府を守り、開国を迫る西洋列強から日本を守る、総責任者となったのである。

慶喜は国力を冷静に分析し開国の道を見据えていたが、幕府の弱腰を突いて倒幕を企む長州藩や薩摩藩がいる。
慶喜は有力藩の大名を説得するため長時間に及ぶ会議を自ら開くのだが、その内容もまた彼の才覚を感じる。

将軍とはとても偉いもので、直接話しをするのも憚れる立場とのこと。
しかし慶喜は大名たちに敬語で話しかけ、タバコは自由に吸ってくださいと煙草盆を用意し、座を和らげるため茶菓子を勧めた。
座が疲れてくると、すこし休みましょうと告げ、一同を庭に連れて行き「さあ、写真を撮りましょう」と、記念撮影を行ったという。

無駄な慣習を取り払い、仕事を完遂するためにあの手この手を尽くす、この胆力と政治力は素晴らしい。

首相になってほしい人の投票に是非とも「徳川慶喜」を推したい。

しかし懸命に手を打つも、薩長は朝廷を手のひらに納め倒幕の勢いを強める。
幕府には一万を超える者たちが徳川家と命運を共にする決意する。
この慶喜が腹を切って死んだときけば、汝らはどのようにでもせよ。しかしこのように生きている限りは、わが下知に従え。妄動はならぬ。
慶喜は最後まで野心家では無かった。

全てに責任を持ち、未来を見据え皆を説得し「大政奉還」、そしてその後「辞官納地」を決意するのだ。
「大政奉還」は徳川幕府が預かっていた政治を幕府に戻し、「辞官納地」は土地身分を全て差し出し浪人になることである。

追い詰められ「一億総決起」などと語った為政者もいる。
地位を失うことを恐れ、周りに責任をなすりつける者もいる。
慶喜は、大きな時代のうねりのなか将軍という運命を受け入れ、歴史の流れを見据え幕府を明け渡した。
なんという人物であろうか。

将軍からニートへ

幕府を追われた後の話も面白い。
慶喜は静岡で暮らし最後は東京へと戻るのだが、明治政府で仕事をする旧臣たちとの付き合いを避け続けたそうだ。
将軍をやめてよかったとおもうのは、この油絵をかいているときだ
何ごとも自分でこなすことを好む性分と、自由に新しいものを受け入れる精神で多くの趣味を持ち生きたという。

多くのメディアで「自分らしい生き方」というフレーズを目にする。
「徳川慶喜」の生き様を読み終えて浮かんだのはこの言葉だった。

著者の文章に依するところもあると思うが、彼の生き様は激しい時代に大きな命運を背負っていながら全くと言っていいほど重苦しさを感じさせないものだった。
どこまでも「自分らしい生き方」を貫いた人物の物語である。


「歴史」作品のエントリ

最後の将軍 (文春文庫) 司馬遼太郎 感想